元始、子どもは太陽であった――「ひまわり塾」に込めた願い
なぜ『国語ひまわり塾』なのか。それは、私が平塚らいてうの言葉、『元始、女性は太陽であった』に深く共鳴しているからです。
らいてうの言葉は、「属性(性別、家庭や学校での立場)」に縛られない、個の尊厳を謳ったものです。すなわち、全ての方が『自ら光り輝く力』を生まれながらに持っている、と述べたのです。
どの子の中にも、本来は自分自身で考え、答えを導き出し、太陽のように輝くエネルギーが眠っています。 しかし、テストの点数や『国語が苦手』という思い込みの影に隠れて、その光が少し曇ってしまっているだけなのです。
一人一人が輝ける。それは当たり前で、そしてとても難しい。けれどそれを諦めたくない。ひまわりが太陽を向いて真っ直ぐに伸びるように、子供たちが自分の力で立ち上がるお手伝いをしたい。そのような思いから、「国語ひまわり塾」は生まれました。
受験を納得できる通過点にする
私は地方出身、社会人になってからの都内在住者です。小学生の頃から「公立に進学すること=良いこと」という価値観のなかで育ち、大学までずっと地元の国公立に通わせていただきました。
そのような生い立ちのため、中学受験の経験はありません。また、子供に縁を持てなかったため、子育ての経験もありません。そんな私がなぜ塾を開こうと考えたのか。
それは、受験に対しての心残りがひとつあったからです。
高校生の時、志望大学を決める時に、自分の意思を大切に出来ませんでした。兄が旧帝大に進学し、高校の成績だけ見れば兄よりも良かった私に、周囲からのプレッシャーがありました。自身の希望とのすれ違いを言い出せないまま、ある事情から地元に残る必要に迫られました。
結果として、私は国の奨学生になり、地元の国立大学に進学しました。授業料は全額免除でした。ここだけが、親孝行をできたと言えるのかもしれません。
さすがに大学卒業から四半世紀も経っていれば、自身の大学入試を語るのも詮無いことです。ですがやはり、自身が受けたかった学校に願書さえ出せなかったという思い出は、いま思い返しても切ないものです。
私は子供に恵まれませんでしたが、自分のような思いを子供たちにしてほしくない、とずっと思っています。避けて通れない受験なら、せめて受験する本人が納得できるものであってほしい。そのあとの礎となるような経験にしてほしい。
試験は結果が分かれるものです。皆が皆、第一希望には進学できない現実。それは、辛いことですが認めなければいけません。その厳しい現実を前にして、私に何ができるか。自問自答した結果、最も得意だった国語の知識を使い、子供たちの役に立ちたい、と考えるに至りました。結果がどうあれ『やりきった』と胸を張れる受験を、子供たちに届けたいのです。
国語の女王とよばれた高校時代
学生時代、ありがたいことに『国語の女王』というあだ名で呼ばれるほど、国語は私の得意科目でした。偏差値は常に70を超え、全国模試で5位以内にも入りました。
でも、当時の私は「なぜ解けるのか」を説明できませんでした。なぜなら、「そこに書いてあることを解答用紙に書いただけ」と認識していたから。ですから 講師として歩み始めた時、私が最初に取り組んだのは、自分の無意識の思考を解体することでした。
現在、非常に残念なことに『酷語』という言葉が市民権を得てしまっています。
だからこそ、悩んでいる子供たちが自ら光り輝くための『酷語を国語に変える方法』を教えることが必要だと思います。受験や子育ての経験がないからこそ、私は「純粋に国語を愛し、極めた一人の人間」として、お子様の隣に立ちたいと思っています。そして『酷語』に泣く子を一人でも減らし、論理という光を当てて、本来の『国語』の楽しさを取り戻してほしいと考えています。
個別指導 国語ひまわり塾の使命
ひまわりのように、子供たちが自分の力で伸び伸びと立ち上がるお手伝いをしたい。
そのために、私は次の点に注力して、子供たちに向きあっています。
- 『国語は難しい』という霧を、ロジカルな思考で晴らす。
- 『自分にも解ける!』という自信を取り戻し、お子様を輝かせる。
論理という武器を手にしたとき、子供たちは誰に言われるでもなく、自ら光を放ち始めます。その姿は、夏空に堂々と咲くひまわりそのものです。
『個別指導 国語ひまわり塾』は、単に受験テクニックを教える場所ではありません。 国語という教科を通して、『自分は自分のままで輝けるんだ』という強さを育む場所でありたい。
卒塾するときは、笑顔輝くお子様を送り出します。