今回は説明文には特に重要な、そして物語文にも必要な「意味段落分け」について、考えたいと思います。

長文読解は感性ではなく論理的に

保護者様が気にされることの一つに

という点があります。

もちろんセンスはあるに越したことはありません。読書が習慣になっているなどの学校以外の状況が功を奏うして、国語が得意な子は必ずいらっしゃいます。当然、誰にでも得手不得手があるので、国語が得意な子にフォーカスすればするほど「どうしてうちの子は国語の点数が取れないんだろう・・・」となってしまいます。

その前提には、「普段日本語を話して生活しているんだから、国語なんてできて当然」という意識があります。ですが読書が好きな子でも、教科としての国語の点が取れるとは限らないのが実情です。ましてや、国語が不得手な子にしてみれば、日常で使っている言葉とテスト問題とはかけ離れてみえるものです。

国語が不得手、という生徒さんに向かい合うとき、その前提は脇に置いておく必要を感じます。その前提に立つ限り、「国語は感性で解くもの」という思い込みから抜けることができないからです。

逆の方向から考えてみればどうでしょう。すなわち、「国語は論理で解くもの」、と。

こう書くと、また違う誤解が生まれそうです。「ではテクニックを覚えたらよいのか?」

テクニックは確かに必要ですが、テクニックがあれば文章を読むことから逃れられるということはありません。残念ながら、どの教科にも近道はないのです。

その一方で、テクニックを使い、論理的に「文章を読み解く」ことはできます。そしてそれをもとに、論理的に「解答する」こともできます。むしろ感性に頼らず論理的にアプローチすることを身に着ければ、いつどのような問題が来ても、どういった精神状態でも解くことができる。安定して一定の点数を獲得できる方法は、国語のセンスを磨くことではなく、必要な論理的アプローチを身に着けることです。

国語の領域で唯一感性=情緒が求められるとすれば、それは詩や俳句、短歌の創作といった場面であり、ここで問題にしている入試の場面ではありません。

必要な論理的アプローチとは

論理的アプローチの第一歩として、「形式段落分け」と「意味段落分け」があります。

形式段落は1字下がる、と覚えているとは思いますが、ではなぜ1字下がるのかといえば、「文のまとまり」で区切るためです。

一方意味段落は、形式段落のいくつかで一つの「意味のまとまり」になっている段落です。これは主に説明文で注目されることが多いのですが、物語文でも意味段落分けは活躍します。

説明文では「文章全体のテーマ」や「実例①」「実例②」「まとめ」といったまとまりに分けることができます。物語文であれば「起こった出来事」「登場人物の行動や言動」「心情の変化」に分けていきます。

意味段落に分ける時、最も役に立つのは接続詞です。代表的なものは「しかし」「つまり」「要するに」など。これが段落冒頭にあれば、そこで意味が区切れます。これはとても分かりやすいです。

ところが、例えば四谷大塚の組分けテストでは、こうした分かりやすい文章が出題されないことも多いのです。ですからみんな迷ってしまいます。何を手がかりに意味段落を分けたら良いのでしょうか?

まず、説明文は「筆者の考え」があり、その根拠(理由)=「実例」「起こったこと」を具体的に述べて、より説得力が増すように構成されています。ですから問題文を読むときは、「これは実例か?」「例のまとめか?」と「筆者の考えや意見か?」にしか分けられません。

物語文は「登場人物の変化」を見つける問題です。それは心情や考えであることが多く、「変わる前」→「起こった出来事」→「変わった後」と物語が進むことが多く、設問はほとんどが「なぜ変化が起きたのか?」「変化の前と後はどう違うのか?」を尋ねます。

まずこの構造の基本を覚えましょう。どれだけ文章量が増えたとしても、この基本構造は変わらないのです。長文読解は分解、仕分けが第一歩です。文章を味わうことではありませんから、センスは重要ではないのです。センスがない、と嘆く必要はありません。もっと論理的に長文と向き合ってみましょう。

通読ですべてを理解する必要はない

通読、つまり問題文を通して読むときに意識するのは理解することではなく、「構造をある程度把握すること」です。問題を解いていくうちに理解が進むことは、実はとてもよくあることです。問題文をよく読む、とは分解、仕分けをするためです。そのあと設問を読み、「ああ、これはこの部分を聞いているんだな」と分かるようになるためです。

国語が不得手な人ほど、感性なんて必要ない!という姿勢でいきましょう。